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致死率100%の生

2016-07-25 02:54:22

テーマ:

命の根源☆性愛

もしも

死がいけないものだとしたら

あなたは必ず死ぬから

いけない人だし

死なない人はいないから

みんないけない人

ということになるかもしれない。

死を逃げに使うのを

いけないと言う人は

自分も死を

逃げに使いたいのに

死を逃げに使うなんて

とんでもない

と思って出来ずにいるから

そうする人がやたら目について

ずるいよ

って思ってるのかもしれない。

いや!

それとも

その人を失ったら

自分がやり切れない気持ちになるから

だのに

素直にその気持ちを伝えられなくて「いけない」という正論を持ち出すのかもしれない。

どうして

正論なんかじゃなく

その気持ち

伝えないんだ?

いいよ、よくがんばったね

って神様が許すから自殺できる。

だからまだ

やることがあるうちは

死んでも死なせてくれない。

死んだら

どうなるかわからないから

コワイし、とか、

好きなあなたがいなくなると

さみしいからいてほしい 、とか

そう感じたりしているだけで

死、そのものが

いけないわけじゃない。

いけなくないなら

人を殺してもいいという

そんな意見でもない。

わたしはもしも自分の愛する人を殺されたら、多分、仕返しに、殺したその人をジワジワと苦しいめにあわせて殺すかもしれない。

でも、そうしたら逆に、その人を大切に思う人から殺しかえされるかもしれない。

だからあるいは絶望して自殺するかもしれない。

だけど極端に言えば

殺しにも良い悪いはなくて

殺されて理不尽に思う

たまらない、

やり場のない気持ちがあるだけ。

仕返しすればそれが増えるだけ。

死は救いのうちのひとつ。

どうせ、死ぬまで生きるんだから

もしもどうにもならなかったら

死んでもいいかなと

考えたら楽になり

死に救われて

生きれるように

なるかもしれない。

だから死って

いけないものでは

ないと思うんだな‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

死について

そんなことを書いた去年の7月。

死を考えることで

性が生きて

生が活きることも

あるかもしれない。

致死率100%の生だから

正論なんかじゃなく

「その気持ち」を

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