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同情しないとかわいそう‥‥?

かわいそう、という同情

に出会った時、同調しないと「やなヤツ」と思われるかもという感覚がゼロというわけではないが~\(//∇//)\

でんでん(←わたしの夫)は以前、結構「かわいそうな女性」を「なんとかしてあげたい」と氣をかけるようなところがあった。

だから

「なら、わたしはその人よりもっと“かわいそう”になるよ。そしたらでんでんの注意をひけるんでしょぅ?」

って言ったのね。

でんでんはすぐ、あぁ~っΣ(・□・;)そうか!なるほどってなったけど。

かわいそうな自分をアピールする理由は、過去に「かわいそうな自分」だった時、最も自分が得たい他人の関心を得たからかも知れない。

それが何度か続いて、他人と関係を作る方法はそれ以外に無いという感じになってるのかも知れない。

でも、いい年齢まで、「かわいそうな自分」でいることで他人との関係性を作る方法を続けても生き延びて来た人って

すごくタフなんだ、という例に何件か遭遇して

新たにそういう人に出会って観察してみると、やはり芯はタフなんではないかと現在は思っている。

「かわいそう」に乗っかって注意を向けると、その人は、注意を向けてもらうためにはかわいそうでいる必要がある

という確信を深めるわけだ。

だから、わたしは、かわいそうにいちばんいいのは「無関心」と

かわいそう以外の部分での交流だ

と思っている。

追記:弱音を吐かない、という意味ではなく、それ「だけ」が手段になってる場合に対しての意味で。念のため。

田中みっち監修

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2016.7.4にFacebookからお引っ越しを予定してます。4日までは以前の記事ででこちらへ持ってきたかったものを投稿いたします。お引っ越し完了の際には改めてごあいさついたしますのでお付き合いいただけたら嬉しく思います。

ぎま はるなより 愛と感謝を込めて✨

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